はしるおうち〜取捨選択の日々〜

キャンピングカー生活を目指して生活のコンパクト化をしていきます。

コトダマ コトノハ

SNSでの誹謗中傷に傷ついて自ら死を選んでしまう人が後を断ちません。自分は陰に隠れて無責任に言いたいことを言う人間の言うことなんか相手にしなきゃいいのにと思いますが、ターゲットにされた本人は辛くて辛くてそんなふうに考えられないのでしょうね。それでも言います。

そんなことで死んじゃいけません。

誰も言葉で人を殺せるとは思いませんよね。誹謗中傷を書き込む人は悪いことをしていると思ってやっていません。むしろ自らをヒーローとして相手に及ぼす影響なぞ深く考えることなく、ゲームのように軽い気持ちでやってしまうようです。

そんな人たちの戯れに付き合って大切な命を差し出すことはないのですよ。

誰もが有名人になり得る昨今、悪質な書き込みを規制する事も必要ですが、プライベートをさらけ出すことのリスクをよく理解し、覚悟して行動しなければいけないのかもしれません。

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SNSに限らず誰もが他人の一言に傷ついた経験を持っています。言われた軽い一言が胸に深く突き刺さって辛い思いをしたことありますよね。

ある時期から私は浴びせられた言葉には何らかの意味があるのではと考えるようになりました。

「ほんとにそれでいいの?」

「今のこの状況、間違ってない?」

自ら下した判断の再確認を求められているように思えてきたのです。そのまま進むことにしても、そちらを選ぶ覚悟を試されているようでした。

「この人はこの一言を言う任務を負って

    私のところにやって来てくれたんだ」

そう考えることができたら、きつい一言も大切な「助言」に変わります。脳天気だと笑われるかもしれませんが無責任な言葉に翻弄されて悩むより、この方が気楽でしょ。

もちろん「言った」側にも責任を担っていただくことになりますが…。

「言霊」というものを知っていますか。言葉には魂が宿っていて人に様々な影響を与えます。言葉を発する側は相手や周りに及ぼす影響を考えなければなりません。「言霊」の影響は決して発した本人も圏外ではないのですからね。

また言葉は「言の端」であり、ものごとの本質は言葉で語り尽くせるものではないとも言われます。たった一言でその人が言いたいことは伝わりません。好意を込めて言ったことでも相手を怒らせてしまうことはよくあることです。

「そんなつもりで言ったんじゃないのに」そんなセリフ聞いたり言ったりしたことありませんか。

要は受けとった側の問題です。受け取り方で言葉はさまざまなかたちに膨らんでいくのです。

「言の葉」は枝を離れたら元には戻りません。知らず知らずのうちに誰かの頬をかすめて傷つけているかもしれません。私も言葉を発する者の端くれとして細心の注意をしようと改めて思います。

それではまた。ありがとうございました。