はしるおうち〜取捨選択の日々〜

キャンピングカー生活を目指して生活のコンパクト化をしていきます。

究極の選択

食にこだわる目的は長生きではありません。寿命を全うするまで健康で明るくいたいと願っているからです。

以前、身体機能が失われていく難病にかかった女性が海外で安楽死を選ぶという番組を見ました。

家族に迷惑をかけたくないと彼女は言いました。「介護をしてくれる家族にありがとうを伝えられないのが悲しい」と。

そしてもうひとり、やはり同じ病気ですでにまばたきでしか意思を伝えることができませんが、彼女は家族の介護で生きる続けることを選びました。

「家族と一緒に桜が見たい」と。

どちらかというと安楽死を選んだ彼女と性格が似ている私。大好きな家族の手を煩わせたくない気持ちは同じです。それにチューブにつながれてベッドに寝たまま生活するなんて苦痛でしかありません。

安楽死には「積極的安楽死」と「消極的安楽死」があるそうです。日本では薬物を投与する「積極的安楽死」は認められていません。もし私が自力で生きることができなくなったら「消極的安楽死」を選択したいと思います。

「死にたい」のではありません。

「生きたい」のです。

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人間の尊厳なんて難しいことは言いたくありません。やりたいことをして食べたいものを食べて、好きな人たちと語らい笑う…そんな当たり前のことができなくなるなら、私は潔くこの世を去りたいと思います。

こんな声が聞こえます。

「残される家族のことを考えろ」

どのような死に方をしても残された人たちの後悔と悲しみは同じではないでしょうか。延命治療を選んだらその人が亡くなったとき家族は満足するのでしょうか。

人間は存在するだけで周りの人間に影響を与えます。その人がどんなことにこだわりどんなものを愛し、そしてどのように死んだのか。

残された者は折に触れその人の生きざまについて考えながら生きていくのです。

キャンピングカー生活を5年計画で準備していますが、私たち夫婦どちらかに何かあればそこで終わりになります。それでも一つの目的に向かって二人で楽しんでいたのだという事実は残ります。それだけでも十分意味があると思います。

自分が死ぬとき、家族にどんな生きざまを見せて旅立てるか今から楽しみです。

それではまた。ありがとうございました。