ライアー、ライアー
先日、目から大きなウロコがポロリと落ちました。
その日、娘が卵を茹でていました。鍋には沸騰したお湯。その中に卵をゆっくり入れていきます。
ダメダメ。卵は水から茹でなきゃ割れてしまうよ。
大丈夫。卵を室温に戻してあるから。
ハラハラしながら見守っていると無事ゆで卵が出来上がりました。それもきれいに殻もむけてつるんとした美味しそうなゆで卵。
詳しく話を聞いてびっくりしました。私が学校の授業で習ったのと全然違う!
家庭科で習ったゆで卵は水から茹で始めるのが鉄則でした。そして沸騰し始めるタイミングで箸でしばらくコロコロ転がすと黄身が片寄らずきれいに茹で上がる。今の今までそう信じていました。
ところが熱湯から茹でると黄身が片寄ることもなく、殻もつるんときれいにむけるではありませんか。私たちが教わって信じていたのは何だったの?
そういえばキュウリの切り取ったヘタをあくとりと信じて切り口をくるくる擦ってたっけ。あれも後に全く意味ないことだと判明しました。
昔から常識として学んでいた教科書が近年ことごとく塗り替えられていると聞きます。
もちろん決して誰かを騙そうとした訳ではなく、当時の検証の甘さだったり、不確かな情報が一人歩きした結果だということは理解できます。
世界中でとんでもない数の情報が飛び交っている現在、検証の甘い不確かな情報も混じっているのは明白です。たいがいは他愛のないものでしょうが、昔学校の部活で水を飲むのを禁止したように後になって命に関わるほど重大なことだったとわかったなんてこともたくさんあるのではないかしら。
そう考えるとゾッとします。
「今君たちが学んでいることは全てすでに過去の情報なのだ。決してそのまま鵜呑みにして過ごしてはいけない。」
ノーベル賞を受賞した大学教授が学生たちにそう諭したそうです。
今、巷に流れている情報もさも常識のような顔して私たちを騙しにかかってるかもしれません。
すぐ飛びつく事なく、ちゃんと考えてから信用に値することだけ取り入れていきたいですね。
それではまた。ありがとうございました。
3回目の成人式
私も今年の春めでたく(?)還暦を迎えました。赤いちゃんちゃんこは勘弁して欲しかったので赤い口紅とお気に入りのオーデコロンを買ってもらいました。
60歳。3度目の成人の日を迎えたわけですよね。
20歳。最初の成人式のときの私は「成人」とは名ばかりのひよっこでした。ただただまだ見ぬ未来にときめきと不安とを抱いていた頃でした。
40歳。2度目の成人の日を迎えたのは世間の不条理に打ちのめされて精神的に不安定な時期でした。悶々と過ごしていたそんな時、まさに助け舟のように新天地への移動の話が持ち上がり、すがるような気持ちで引っ越しを決めました。そしてこの新天地でその後の私の人生を大きく変えるさまざまな経験をすることになるのです。
そして60歳の今、キャンピングカー生活を始める準備を進めながらこのブログを書いて今までの人生の棚卸しをしています。まだまだやり残していることがある気がして忙しい毎日です。
「大人になる」って夢を諦めたり、考え方が現実的になったりとネガティブなイメージが付き纏いがちだけど、ちょっと違うと思います。
夢を諦めたように見えるのは自分ときちんと向き合えたということ。自分が欲しいものが本当にそこにあるのか見極められたということ。
輝かしいだけの「夢」は近づけば消える蜃気楼。
さまざまな葛藤や苦労が現実に存在するからこそ、その場所は輝きを放つのです。
欲しいものを全て手に入れようとするのではなく、「足るを知る」ことも大切だと大人になるとわかってくるのです。
「大人になる」で思い出すのは大好きな映画「繕い裁つ人」でのワンシーン。
家族のため懸命に働いた日々からリタイアした老人たちや、父として母として、生活のために日々忙殺される人々が一年に一度、一張羅の高級服を身に纏い「夜会」と称される大人限定のパーティでダンスを踊るのです。
現実から逃げるのではなく、ちょっと離れて一夜だけの夢の世界を楽しみ、日常に戻ってゆく。そんな楽しみ方も素敵だと思います。
そして80歳。4度目の成人式を迎える頃、私は何を考え、どんなふうに人生を楽しんでいるのかしら。
それではまた。ありがとうございました。
北風と太陽
「あの〜…そろそろ私にもごはんをいただけないでしょうか?あ!いえいえもちろん皆さんのお食事が済んでからで結構でございます。」
それを聞いた子供たちはクスクス笑いながら器にひまわりのタネを入れてリョータにあげました。
もちろんシマリスのリョータはしゃべることはできません。私のアテレコです。
「ちゃんとお世話するから」と約束して飼うことを許してもらえたシマリス。案の定、その契約はあっさりと破られました。
「自分でお世話するって言ったでしょ!!」
ヒステリックに怒るのも一つの方法でしょうが、朝から気まずくなるのは勘弁してほしい。そこで考えたのがアテレコ作戦でした。意外と効果アリ。その後もしばしば使わせてもらいました。
子育て中は暗中模索の日々が続きます。さまざまな情報に振り回されて右往左往するのは全ての母親が経験することです。だからこそしっかり自分の考えを持って足を踏ん張っていなければなりません。
こんなときこそ「根拠のない自信」です
自分が子供をどんなふうに育てたいかを一度決めたら迷うことなく邁進するのです。
もちろん周りの意見や情報も積極的に取り込んで精査することも必要ですが、核になる部分は簡単に手放してはいけません。
だって辛い思いをしてこの子を産んだ母親だもの。それくらいの権利はあるでしょ?
私は早産で双子を産みました。1000g満たない2人がさまざまな危機を乗り越えて日々成長していくのを見ていて思いました。
「この子たちの人生はこの子たち自身が勝ち取ったものだ。親でも干渉する権利はない。」
2人が成人した今もこの考えは変わりません。親である私たちはただ30年先を歩いている先輩がその経験をもとに相談を受けアドバイスすることだけ。あとは本人の判断に任せます。
よく「100点取ったらアレ買ってあげる」とか「お手伝いしたらお小遣い」とかありますが、我が家にその制度はありません。
「コレをするからエライ」ではなく、「コレをするのは当たり前」と捉えて欲しかったからです。
他人に優しくするのも、必要なことを学ぶのも、特別なことではなく当たり前のことなのです。
むりやり親の都合を押し付けるのではなく、子供の意見を踏まえてアドバイスしてあげれば子供は無理なく成長していくのだと思います。
イソップ童話の「北風と太陽」のようにね。
それではまた。ありがとうございました。
選ぶこと 選ばれること
先日、探していたアンティークのソファテーブルが見つかって購入しました。長年こんなテーブルでソファでくつろぎながらお茶したいと思っていたので、ようやく念願が叶いました。
同じタイミングでダンナさんの時計も見つかりました。ずっと好みの品を探していましたが、何気なく入ったリサイクルショップでこの時計と出会うことができました。
「物は人を選んでやってくる」と言います。私たちにも憧れていた物たちが訪れることを許してもらえたということでしょうか。
私が視聴するYouTubeの動画の中に高級住宅街に住んでいる(であろう)奥様がおられます。美しく整えられた室内には質の良い家具がさりげなく置かれ、高級な調理器具で作られる料理はこれまた高級な器が並ぶテーブルに美しく盛り付けられます。誰もが憧れるセレブ生活がそこには確かに存在します。
しかしお手伝いさんの姿は見当たらず、レストランに並んでも遜色ない素晴らしい料理も、後片付け、掃除、衣類のメンテナンスなど全ての家事を彼女一人でやっているのです。
調理器具や食器もお祖母様やお母様から譲り受けたものや自分で選んだものを大切に何十年も使っているのだそうです。
生まれた時から高級品に囲まれ教養の高い人たちに育てられた彼女はいわゆる「選ばれた人」なのかもしれません。しかしその生活は堅実で謙虚です。
「自分は選ばれた人間だから何やっても許される」と傍若無人に振る舞う人もいます。
人はみんな選ばれて生まれてきます。そして置かれた環境に関係なく何かしらの使命を担っているのだと思っています。
これからどんな物たちが私のところにやってきてくれるのか。日々を堅実に謙虚に過ごしながら待ちたいと思います。
それではまた。ありがとうございました。
深〜いお仕事
私は家事ブログを観るのが大好きで、ほぼ毎日YouTubeで視聴しています。
快適な暮らしのヒントが見つかったり、きれいに整えられた室内に癒されています。
ある日女性のブログを見つけました。
50代で一軒家に一人暮らし。結婚して息子さんもいるようなのに…。なんで?
よくよく観ていくとご主人が家を出て行ったのだとか。「君の良さがわからない」などという言葉を残して…。
画面に映し出された家の様子は整然と美しくてあしらわれた花や小物はセンス良く室内を飾っています。現在は一人分だけの食事も手を抜かずきちんと用意して食べています。
このご主人にとってこんな日常のことは彼女の「良さ」ではなかったのですね。
「夕飯のおかずは最低5品並べろ」などとご自分の奥様に当然のように言い放つ殿方。偉いのはそれを長年やり続けたあなたのお母様とさらにそれを毎日粛々とこなす奥様であり、あなたではありません。お母様と奥様の日々の努力にもっと感謝すべきですよ。
日常を作り、保ち続ける「家事」という大切な作業。根気のいる地味な仕事ゆえにそこに意義を見いだせない人達には男女問わず軽視されてきました。一時期専業主婦は年金ドロボー呼ばわりされてましたしね。
ある会社の事務員さんのおはなしです。
毎日来客にお茶を出すのが彼女の仕事のひとつだったのですが、彼女はお茶を出す相手の好みの飲み物から好みの温度、出すタイミングまで全て完璧に把握していたのだそうです。
「あそこのお茶は美味しい」と評判になり、会社の業績に多大な貢献をしたのだとか。
仕事って本来そうあるべきですよね。どんな仕事でも真摯に向き合って取り組めば素晴らしいスキルになるのです。
私は家事は突き詰めるほど面白くなるとても奥深い仕事だと思っています。
YouTubeで見る女性たちは家事を愉しみ、家族を想い、生き生きと毎日を誇りを持って生活している人ばかりです。
私も彼女たちのようになんでもない日常を慈しむ生活をしていきたいと思っています。
それではまた。ありがとうございました。
Don't sleep through life!
先日、高学歴を売りにしているある漫才コンビの話を聞きました。とても仲のいいコンビなのですが、ただそれだけではなくお互いの役割をちゃんと考えて活動しているのです。
国立大学を卒業した相方をどうプロデュースしたら芸人として活きてくるか、そしてその戦略をきちんと理解してどう動いたら最大限に発揮できるかを二人が絶妙なコンビネーションでやっているのです。絶大なるお互いの理解と信頼が無ければできないことです。この二人すごいなぁと感心してしまいました。
それも高学歴ゆえだと言われそうですが、本当にそれだけでしょうか。
ヒッチコックの映画「ロープ」では成績優秀な青年たちが自分達の優位を示すためだけに友人を殺害してしまいます。実際にユダヤ人の青年たちが起こした事件がモチーフになっているそうですが、この映画の中の二人は通いの家政婦ですらその不自然さに気付くほどのお粗末な犯行を自信満々に進めていきます。学術優秀であるはずの二人に何が欠如していたのでしょう。
一つの思想に固執してあらゆる方向から物事を考えることをしなかった二人。様々な可能性を見つけられる柔軟さを持ち合わせていたら彼らは愚かな殺人者にはならなかったと思います。
かつて受験戦争なるものが勃発して詰め込み教育が横行していた時期もありました。思えばあの頃たくさんの人が、考えることをやめていたのかもしれません。
「いい学校に行っていい会社に入れば生涯安泰」などという根拠のないことを皆信じていましたが、その後それが間違いだと思い知るのにさほど時間はかかりませんでした。学校の机で教わったことだけで渡り合えるほど世の中甘くありません。社会では教科書に載っていない想定外な出来事が日常的に起こるのです。
もちろん学校で優秀な成績をおさめることは誰にでもできることではないすごいことです。
せっかく苦労して積み重ねた学歴を自己満足だけに終わらせることはしない欲しいですね。
ドラマなどで時々「最悪な事態の可能性も考えておけ」というセリフがあります。それは最悪なことを考えて悲観しろということではなく、その最悪な事態に対処する方法を事前に考えておけという意味だと思います。
どんな最悪な事態でも何処かしらに必ず突破口があるはずです。行き当たりばったりではなくきちんと考えて進んでいけばさほど困難なことではないかと思います。
「考えた事もなかったこと」が蔓延している世の中に今回のコロナ騒動はいろいろなことを考えるきっかけをくれたのかもしれません。
それではまた。ありがとうございました。
チョコレートを食べる日
今年もバレンタインデーがやってきましたね。巷ではチョコレート商戦が年々過熱してきておばちゃんはついていけなくなりました😅
以前は多少の反感もあったけど、企業の販売促進に乗っかるのもいいかなぁと今では無理のない程度に楽しむようにしています。
我が家のバレンタインデーは「美味しいチョコレートを家族で食べる日」となっております。今年は早々に実家近くのお店でゲットしてきました。ピーチバニラにフルーツグラノーラ、ほうじ茶ラテにアールグレイ、塩レモンなんてものもあって全20種類。どれも美味しそうでチョコ好きの私にはたまりません❤️
バレンタインデーに限らず、我が家はイベントをやりません。それぞれの誕生日にも基本パーティなどはしませんし、クリスマスは「ちょっと豪華なおうちディナーを家族で食べる日」です。キリスト教徒ではない私たちがその日だけキリストを崇めるのも変なことですからね。
山の神に海の神、火の神や水の神、台所やトイレにもと昔から身の回りのさまざまなものに神様が棲むとされる日本。だから日本人は特定の宗教にあまりこだわらないだと聞きました。外国の習慣を違和感なく取り入れられるのはそのせいだったのですね。
おおらかに楽しめたら幸せだと思います。
それではまた。ありがとうございました。