遠くにありて思うもの
まだ10代の女の子たちが、かつて私たちが毎日呼吸するように聴いていた松田聖子や松任谷由実、チューリップやさだまさしを熱く語っているのを見るとくすぐったいような変な感覚になります。
かつてアイドルだった人たちが、今も現役で立派にステージに立って昔の持ち歌を歌う場面を観ることもあります。
何年も歌い続けて熟練した歌声は素晴らしいのですが、やっぱりちょっと違うのです。
10代の頃の拙くて不安定な歌の方が私には心地よいのです。その歌声が孕んでいる当時の空気が感じられるからかもしれません。
私にも10代の頃の10年間ファンだったアイドルがいました。長い手足を使った華麗な振りと力強い絶唱がトレードマークでしたが、私は彼の甘く切ないバラードが大好きでした。
晩年の彼は病を得て長い闘病の末、数年前に若くして亡くなりました。不自由になった身体で懸命にリハビリを行い、歌手復帰を目指していたようでしたが残念ながら叶いませんでした。
テレビで闘病を頑張る彼のドキュメント番組もやっていましたが、本音を言えば私は彼のそんな姿を見たくありませんでした。
最期まで応援していたファンの方たちに怒られるかもしれませんが、私の中の彼はいつまでも明るく元気に笑っていて欲しかったのです。
昨年も多くの昭和歌謡の立役者たちが亡くなりました。時代はゆっくりと流れ去っていきます。
今はもう帰らない日々は愛おしくそっとしまっておきたい宝物。室生犀星が歌ったふるさとのように「遠くにありて思ふもの」なのではないかしらと思います。
それではまた。ありがとうございました。