障害という名の才能
発達障害と呼ばれる症状を持つ人が全人口の20%いるそうです。注意欠如、多動症、学習障害…。私はそれを「障害」と呼ぶことに抵抗を感じます。程度の差があるだけでそんな人間はいくらでもいますよね。「障害」とされるボーダーラインはどこにあるのでしょう。
山下清やエジソン、草間彌生、黒柳徹子などかつて障害児、問題児として幼少期を過ごしてのちに偉大な人物となった人は数知れません。
偉業を成し遂げた今は讃えられるのにまだ何者でもない子供たちはなぜ問題視されるのでしょう。
私の息子も小中学校のとき、集団行動に馴染めず周りから浮いた存在でした。いじめを受けて学校から呼び出されたり、病院から連絡を受けたことも何度かありました。息子自身にも未だトラウマがかすかな傷として残っています。
小学校の頃の先生の一言を今でも覚えています。
「怖いと思うのはそのことを
理解できないから怖いんだ」
人は自分の理解できないことを本能的に恐れて排除しようとします。それが我が子の行動だとなれば当然不安になります。どうしてこの子はこんなことをするのか。他人と仲良く過ごすことができないのか。普通でいて欲しい。
病院へ連れて行って診断され、治療を始めたら不安が和らぐといわれますがどうでしょうか。周りはそうでも本人は自分が病気だとされて安心できるでしょうか。逆にこれからの自分の人生についての不安は増すのではないでしょうか。
私は「障害」と呼ばれるものを「才能の芽」だと理解しています。周りの人間が恐れるあまりその芽を摘んでしまうのが残念だと思います。
息子は並外れた記憶力を持っています。塾には行かず公立大学、大学院と進み教職の道へと歩き始めました。これから何者になるか楽しみに見守っていきたいと思います。
それではまた。ありがとうございました。